NPO法人FAIRROAD主催のシンポジウムに参加させて頂きました。
子どもに関わるプロフェッショナルな方々にミーハーな気持ちにややなりながら、久しぶりに外の方々との交流に緊張しながら「いってらっしゃい」と背中を押してくれた〝場〟の子どもやお母さんたちの顔を思い出しながらの参加です。
(わたし1人では不安なので定時制高校の講師をしている仲間と一緒に行きました。)
ゆかさんが私に振って下さったのをキッカケに自分なりに頑張って自己紹介?出来たと思います。
自己評価50。
子どもに向き合い、寄り添っておられる方々ばかりなので〝言葉〟は生きており暖かさを感じました。
中でも西成高校の山田校長の
「勉強嫌いを学校好きに」
このスローガンにした背景、ストーリーに納得させられました。
子どもの里の荘保さんの
「学校で誰かがコロナになると子どもたちは「誰がなったん?」「どこでなったん?」「来んといてほしい。」「自己責任や。」と教室で話をする。孤立さす言葉ではなく「大丈夫かな?」「何か困ってないかな?」と声をかけれる日本であってほしい。」
学校やLINE上はそれが当たり前になっていることに気付いた。
大人の世界がだいたいそうだからね。
昨日の場でも「やっと家から出れたのにシフト入れてくれない。もうコロナじゃないのにまだ休んでって言われた。今月また支払い厳しいわ。」と。
様々な方々のエピソードにもぐっと来るものが。
学校の見守りで「おはよう」と挨拶をし続けた。ある子どもからは返ってくることはなかったが卒業式のときある子どもが来て「おっちゃんがいつも挨拶してくれたからがんばれたわ、ありがとう。」と言われたときはビックリした。
他己肯定感(「私は、他者から『大切だ』と思われている」という感情)が高まっていたのではないかと感心した。
この『交流のリズム』の冒頭で「FAIRROADさんは学校で居場所を作っている、わたしたちは地域で居場所を作っている、居場所には学校がしんどい子らも来るからしんどかったら行かなくても良いと思っている。この集まりは不協和音にも見えるけど交流することによってどこかでリズムになって心地よい協和にもなる」
みたいなことを仰っていたように思う。
交流しないと心地よいリズムは生まれない、発見もなく、感動もない。
一緒に参加した仲間の感想
「きっと、こどものことを思ってる人はたくさんいる。でも、居場所やせんせーをしていなければ、熱すぎる想いがなきゃ、人はわからないから行動できないんじゃなくて、感情が動いたときに動く」
「こういう活動を【特別なもの】とせず、当たり前にこどものことを考える世界になればいいのにって思った
今日来ている人たちの想いはすごい勉強になったけど、この枠を取っ払って
話を聞いたときに発見があるのかなって。
想いがなきゃ入りにくいスペース
その時点で、私たちから世間と距離を置いてる気がする
あとは、単純に、お節介なおじさんおばさんが世の中にいっぱいいて嬉しかった」
声をかけていただき感謝致します。
お疲れ様でした。
またお会いできるのを楽しみにしております。
溝口なつお
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